盆栽が盆栽でなくなるとき

植物のおはなし
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前回の記事では、1年ぶりに一時帰国中の私が滞在する実家の多肉植物について紹介しました。

今回は、実家の盆栽のお話、もっと具体的に言うなら、実家の盆栽と、すでに盆栽ではなくなってしまった元盆栽のお話しです。

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スペインの盆栽

盆栽は奥の深い趣味です。私も一時期、盆栽に興味を持って、本を読んだりしていろいろ調べたのですが、木を曲げたり、いろいろ大変そうというイメージが先行し、実際に家に盆栽を迎えることはありませんでした。

とりわけ私の住むスペインでは、盆栽は本場の日本と違ってマイナーな趣味であり、盆栽の鉢を手に入れるのだって一苦労。値段も無駄に高い。ただでさえ奥が深いのにやたらに敷居が高いわけです。

ですが、そんなスペインにも、盆栽愛好家が存在しています。ときおり盆栽フェアが各都市で開かれて、愛好家が盆栽を披露する展示会を開いています。

私が行ったことのあるのは、毎年5月にバルセロナのパラウ・ロベルト(Palau Robert)という場所で開催される盆栽展。2016年5月に行ったときの写真がちょうどありましたので、紹介しておきます。

こちらがスペインの盆栽愛好家の盆栽です。

 

なかなか立派な盆栽ですね。他にも、ミニ盆栽、草もの盆栽も展示されていました。

スペイン語でも、ボンサイ(Bonsai)と日本の名前で呼ばれているだけあり、盆栽は、今や国境を越えて、世界中で愛される文化になっているんだなぁと思います。

実家に贈った梅の盆栽

こうやって、他の人が作った盆栽を眺めるのは楽しいことこの上ないのですが、いざ自分が育てるとなるとハードルが高いと思い、自分では育てることのなかった盆栽。

ですが、他の人に贈るとなると話は別。自分が育てるわけではないからねー、とノリでお気楽に贈ってしまう私。

というわけで、新年をめでたく迎えてもらおうと、2014年の年末に両親にプレゼントしたのが梅の盆栽でした。こちらは1年後の2016年1月に再び花を咲かせたときの様子です。

エアコンの室外機の上で失礼します。この日は母が、冬の弱い陽光を少しでもたくさん浴びせようと、日当たりの良い室外機の上に、梅の盆栽を載せていたんですって。

我が家の親は、植物を育てるのは好きですが、盆栽の極意とかは全く分からない人たちです。当然、こちらの梅の盆栽も時折水を与える程度で、まったり育てていると思います。ですが、毎年、綺麗な梅の花が咲くほど、きちんと育ててくれてるので、あ、盆栽って思ったほど手がかからないのかな、なんて思ったりもします。

こちらが現在の梅の盆栽の様子です。真夏の青々とした葉は美しく、花が咲いているときとはまた別の趣きがあります。

植物や樹木って私たちが思っている以上に生命力があって、多少水をやるのを忘れてしまい、しんなりしてしまっても、水をあげると数時間後にはしゃっきり生き返ります。

盆栽も、難しそうというイメージ先行で敬遠するのではなく、思い切って育ててみたら何とかなるのかな、と思う今日この頃です。

盆栽の桜姫が選んだ道

植物は私たちが思っている以上に生命力があるという点において、時に予想を超える結果を生むことがあります。

盆栽というのは、いわば樹木のミニチュア版。

しかし、木にとってはそんなのどうでも良いことで、時には自分の思うままに自由に生きたいわ、と盆栽の範疇を超えて、自然の赴くままに成長してしまうことがあるのです。

その最たるや、我が家の桜の盆栽でした。

その桜の盆栽は、2011年の震災直後に、父の友人で福島にお住まいの方がプレゼントしてくれたものでした。

ですが、気が付けば、桜のほとばしる生命力は、小さな器の中で生きることには満足できず、盆栽であったことを忘れ、根を伸ばし、地面へ深々と根を張ったのでした。

一度大地に根付いたならこちらの勝ちとばかりに、その幹はみるみるうちに太くなり、盆栽の入った器を突き破って、大きく、大きく、成長していったのでした。

今となっては3メートルほどの普通の桜の木に成長しています

見上げた桜の木をパチリとスマホで撮ってみました。

ついでに根元もパチリ。真ん中に写る根が桜です。

かつて盆栽だった面影はゼロです。桜の木肌には、元盆栽の桜に突き破られバラバラになった器のかけらがあちこちに刺さっていた模様。このままだと樹が傷ついてしまうかも、と母が器の欠片を取り除いて、現在に至ります。

桜のプリンセスは、盆栽として生きるのではなく、アナ雪じゃないけど「ありのままで」いることを選んだのでした。

今日も元盆栽の桜姫は、その猛々しくも美しい姿で、真夏の灼熱の日差しが南側の窓に差し込むのを遮る役目を果たしてくれています。

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