多言語を学んでも超えられないもの

幼児の教育
この記事は約7分で読めます。

本日は、久しぶりに、4歳の息子の多言語教育についての記事です。

自分が感じてきた母国語と外国語との超えられない壁や、多言語を学んでも、影響をうけざるを得ないものについて考えてみます。

スポンサーリンク

サクラサク。光陰矢の如し

日本では桜の季節ですね。私は、桜が咲くような暖かい日差しの中にいると、大学に入学したころのことを思い出します。

面倒な受験戦争を乗り越えて、解放された気分で、妙にフレッシュな面持ちで、新しい仲間や新しい生活や新しい勉強を始めた頃の、まだ人生では何も決まっていない、混沌とした爽やかな緊張感を懐かしく思うのです。

私がスペインにやってきて、気がつけば14年目。去年は半年ほど日本にいたし、毎年1度は日本に帰っているし、のらりくらりとやってきたので、そんなに時間が経った気がしなかったのですが、やはり時間が過ぎるのは早い、と近頃は思います。

その間、仕事したり、結婚したり、なかなか子供できなくて仕事やめたり、奇跡的に息子が生まれたり、息子が4歳になったり、コーギー犬ネモが10歳になったり、日本にいる父が認知症になったり、いろいろあったなぁとも思う今日このごろです。

母国語と外国語

私がスペイン語を学び始めたのは、20代後半の頃だったけれど、スペインに14年もいればさぞかしスペイン語が上達するかと思いきや、どこかの段階で、語学に対する向上心のようなものは止まってしまって、そこからは全然進歩しなくなりました(^_^;)。

私の語学に対する向上心が止まってしまった理由の1つに、どんなにスペイン語の学習を頑張ってもスペイン語を母国語とする人には叶わないな、という語学学習の限界のようなものを感じてしまったのが大きいかなと思います。

それは結局、バルセロナの大学の博士課程で5年間は頑張ってみたけれど、あぁ、自分にはスペイン語で博士論文を書くのは無理だわ、と悟った瞬間でもあります。修士論文までは、何とか気合で書けたんですけどね。さすがに博士論文となると分量が半端ないし、本当に好きなことじゃないと無理!と思いましたが、何よりも文章を書く際に、自信を持って筆を進めることができなかったのです。

そうですよね、母国語である日本語で博士論文を書くのだって大変なのに、それをスペイン語でなんて、自分どれだけ無謀なん?って当時の私に小一時間説教したい。

もちろん、外国語で博士論文は無理、と一般論を言ってるのではなく、私が力不足だった、私に書き上げる能力がなかったのでございます。外国語で博士論文を書き上げる立派な方は大勢いらっしゃいますからね。私の場合は同じことを日本語でやろうと思っても無理だった気がしますので(T_T)。うん、テーマの選定って重要…(遠い目)。

それにしても、母国語ってやっぱり最強と思うのです。

母国語の日本語だったら、思考できる、あやつれる、何とかなる、っていう腹の底から湧き上がる自信を感じられます。別に誤字脱字があったり、知識不足があったりしても、良いんです。根拠がなくたって、漠然とした自信があるという事実が大切

そういう自信の塊を、私はついぞや英語にもスペイン語にも感じることができずにおります。

そこが母国語と、そうでない言語との超えられない大きな壁だと思うのです。

4歳の息子の多言語環境

私には4歳になる息子がおりますが、現在は、スペインの幼稚園の年中組で、日々スペイン語とカタルーニャ語のシャワーを浴びております。

一方で、息子は日本語話者である私と共に育ったので、私との会話は日本語のみ。スペイン人の夫もそれなりに日本語を話せてしまうので、結局家での会話は日本語オンリーになっております。去年は半年ほど日本の幼稚園に通っていたので、さらに日本語が強くなって帰ってまいりました。

4歳の息子にとって、母国語(思考する言語)は間違いなく日本語です。家で私達夫婦がスペイン語で会話をしていると、「日本語で会話して!」としつこく言ってきます。

ですが、学校での主要言語はカタルーニャ語であり、スペイン語です。これってどうなん?と私は色々思わずにはいられません。母国語で教育を受けられない息子に申し訳なく思ったこともありました。小さい頃から色々な言葉が学べて良いねーとポジティブに考えれば良いんですけどね。

将来、腹の底から湧き上がるような自信を、いずれかの言語に対して持てるようになるのかしら、そんな不安が拭えないビビリ母なのでありました。あんた自身がまず、子供を信じなさい、って自らツッコミ入れておきます。

一方で、私の夫は、スペイン語とカタルーニャ語のバイリンガル。カタルーニャ語を学び始めたのは、カタルーニャ地方に転校してきた7歳の時だったけれど、今では、カタルーニャ語を操る能力に関しては、母国語同様の確固たる自信があるようです。一方で他の兄弟はそこまで自信あり気じゃないから、個人差っていうのは大きいかも…。

幼稚園は嫌がったけれど…

実際に、圧倒的に日本語優位な息子は、こちらの学校では先生や周りの子たちが何を言っているのか、理解するのに結構苦労している様子。

ですが、子供ってフィーリングで遊んだり、学んだりするためか、実際には、言葉の壁はそこまでストレスにはなっていないみたい。

年少の頃から幼稚園に行きたくないよー症候群は酷かったですが、これは日本の幼稚園に通っている間も一緒でした。なので、言葉というより、他が原因のよう。

そして、本当にすごく幼稚園そのものが嫌というよりは、「ママがいないから寂しい」、とか、「給食を一人で食べるのが緊張する」、とか、「良い子でいなくては」、とか、そういうドキドキ感、緊張感がストレスとなって、幼稚園に行きたくない、という心理になるのかなと、最近は思いつつあります。

幸い、今の担任の先生と信頼関係が築けつつあるようで、最近は幼稚園イヤイヤ病はかなり治まってきました。

信号の色は青?それとも緑?

話は変わりますが、私が、こちらに長く住んでいてもどうしても慣れないことの1つに、「信号の色」があります。

日本では信号の色は「」と「、ですが、スペインでは「」と「です。

この「」と「」というのがややこしい。自分では、スペイン語では、信号は「」だーって分かっているんですが、会話をする際に、無意識のうちに、日本の「」という概念が頭に浮かんで、スペイン語で話す時も、信号は「(Azul,アスール)」と言ってしまうのです。

で、こっちの人に、「はぁ、信号の色がだって?何言っちゃってくれてんの(笑)」と突っ込まれる。そこで、日本では信号は「」なんだってば、と言ってもダカラナニ?の世界。

息子も最近、学校で信号のことが話題になっているのか、家での遊びの中にも「信号」が、ちらほら出てくるようになりました。もともと車、特にパトカーが大好きなので、パトカーが走り回る道路に信号は付きものですからね。

ところが本日、家で遊んでいる時に、「信号がになった!」って言ったんです、日本語で。

それを聞いた時に、あぁ、私と逆パターンだ、と思わずにんまりしてしまいました。

息子は学校で、スペイン語で信号は「(Verde、ベルデ)」として習っているのでしょう。だから、無意識に日本語に変換して、信号の色は「」と言ってしまった。

このように言葉は、その土地の文化と切り離せないから、たとえ日本語を話したとしても、物事の捉え方は、育った土地の文化の影響を多分に受けるんだなぁと改めて思ったのでした。

よく、言語の学習について、子供の脳はスポンジみたいになんでも吸収するから、複数の言語だって、簡単に覚えちゃうわよ、なんて言われます。確かに一理あるのかもしれない。

息子は、日本語、スペイン語、カタルーニャ語、英語が混ざった環境にいるけど、いずれにも抵抗を示さずに受け入れている感があります(もしくは、ろくに聞かずに右から左にスルーしている可能性も^_^;)。

でも、育つ土地の文化、物事を認識する色眼鏡、のようなものからは自由でいられないわけです。多言語を扱う脳であっても、自分を形成する哲学(アイデンティティと横文字で言うと何か曖昧になるような)は、教育を受ける土地の影響が強いよなぁ、と思うのであります。

だから、多数の言語を学んだとしても、その中心には、その人の歩んできたユニークな環境という根幹が鎮座しているのでは、と感じるのです。多言語をいかに正確に操れたとしても、その人が本当に思考する、哲学するコトバはたった1つなのではないか、と。

私は生涯、信号はだと思い続けるでしょう。それが自分の育った文化の色眼鏡だから。息子が生涯、信号はと思う文化に属するのかは、これからどこでどう育つか次第ですね。

あるいは、「信号はであり、かつ、である」という認識を持つに至るかもしれません。それがバイリンガルなのかしら。分からないわー。

コメント

タイトルとURLをコピーしました